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「現在」と書いて「原罪」と読む。

「ミュージック・マガジン」がある。音楽批評に優れている。
映画業界に「キネマ旬報」。文芸では「文學界」。
知名度の有無に関わらず作品を論破している。
だがアニメ誌は宣伝の飼い犬だ。
アニメージュ」も「アニメディア」も「Newtype」も良心的な不協和音である。
実情は単なる広告媒体にすぎぬ。
すなわち批評雑誌なき聖域は維持されている。
しかしボクにとってそれはどうでもいいことなのだ。

作品と商品の区別がある。
①製作者サイド(監督・スタッフ・声優etc)はひとつの製作物を「作品」と捉えている。
②消費者サイド(ファン・オタクetc)はひとつの製作物を「商品」と捉えている。
生じる、越えがたき壁。
例え丹精込めた自信作であろうとも店頭では黙殺される。
作画が良いアニメは無数にある。しかし脚本は虚勢の裏で枯れている。
作品を商品だと思い違いしている脚本家も現に存在する。
その脚本に哲学はあるか。
しかしよくよく考えてみるとそれこそが湿っぽい屁理屈だ。

残念至極。暗い井戸は否定されながらも甦った。
詩の神様が囁く。
非凡なやつは大抵、手ぶらでリスクに飛び込むと。
ごらん 文化はストレスによって成り立っている。
のだめカンタービレは現代音楽を一切拒絶している。
avexの楽曲には必ず明快なサビが挿入されている。
分かりやすいものは忘れやすい。
知られすぎた雑学に革命は生まれない。
芸術と大衆の関係はいわば社会問題ともいえる。
しかしボクにとってそれは大して意味をなさない。
ボクは毎日忙しくてたまらない。
現代は不審者からの無言の権力に囲まれている。
誰もが将来の夢を持つべきだと…。
それが何だ。
誰もがポジティヴであるべきだと…。
それが何だ。
ヒトはとても不安定だからこそヒトは意味なく意味を追う。
意味を追うほど意味は絡みつく。
意味などない。本能は熱い湯船で酔える。
湯上りの鼓動と汗の善意。
身体という美しい故郷。
ため息はほどける。

I'm so tired of Japan!




Rufus Wainwright - Going to a town

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テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

2007.06.30 | | コメント(30) | トラックバック(53) | 分析

新訳・東京人の堕落時代②

 「東京に行きたい」と、あこがれ望む少年少女は、天下に何人あるかわからぬ。その子女を東京に送っている父兄、又はこれから東京に送ろうとする親達も現在どれ程あるかわからぬ。東京は若い国民の教育の中心地である。同時に少年少女の魂の華やかな自由境である。殊に地方の子女が、監督者の手を離れ、知人友人の注視から逃れて、腹一パイに新しい空気を吸いに行く所である。
 そこの空気が如何にみだりがわしく汚れているか。如何に甘い病毒に満ち満ちているか。殊に最近の腐敗が如何に爛熟を極めているかを描く事は心ないものだ。
 しかし止むを得ない。
 記者はそのような人々のために特に慎重にこの筆を執らねばならぬ。出来る限り露骨に真相を伝えねばならぬ。

     青春の悩みと社会

 少年少女(青年処女をも含む)時代には先祖代々からの遺伝がみんな出て来るという。
 獣のような本能、鳥のような虚栄心、犯罪性、残虐性、破壊性、耽溺性などいうのが下等の部類に属するのだそうである。上等の方では事業欲、権勢欲、趣味欲、研究心、道徳心、宗教心、英雄崇拝心なぞいずれも数限りない。
 この中で下等の方は堕落性、上等の方は向上性とでも言うべきものであろうが、今の社会ではこの向上性をも一種の危険性と認めて、この堕落性と共に不良性の中に数えている場合がある。少年少女がこんな性質を無暗に発揮してくれると、教育家は月給やクビに関係し、父母は面目や財産に関係し、当局は取締りに手こずるからであろう。
 要するに、今の社会が少年少女の不良性とか危険性とか名づけているものは皆、若い人間の心に燃え上がる人間性に他ならぬ。
 ある哲学者はこの時代を人間の最もキタナイ時代だと云った。又ある者はこの悩みを世界苦とも名づけた。
 この青春の悩みを煎じ詰めると、芳烈純真なる生命の火となって永劫に燃えさかえる。この世界苦を打って一丸として百練千練すると、人類文化向上の一路を貫く中心力が生れるという。しかし、そんな事を体現したり、指導したりするような、物騒な教育家はいないようである。
 だから、彼等少年少女は、自分勝手に迷い、疑い、悩んで行かねばならぬ。何か掴みたいとワクワクイライラしながら、夢うつつの時間を過ごさねばならぬ。だから、ちょっとした事でも死ぬ程興奮させられる。

     大人の堕落性の子女に対する影響

 かような少年少女の悩みに対して、日本人の大人はどんな指導を与えて来たか。どんな模範を示して来たか。
 彼等少年少女の宗教心、道徳心、芸術心、野心、権勢欲、成功欲等のあこがれの対象物である宗教家、教育家、芸術家、政治家、富豪等は皆、その誘惑に対する抵抗力がゼロであることを示して来た。
 彼等偉人たちは、すこし社会的に自由が利くようになると、ドシドシ堕落してしまった。エラい人間は皆、堕落していい特権があるような顔をして来た。エラいと云われる人間ほど、破倫、不道徳、不正をして来た。
 それを世間の人間は嘆美崇拝した。そうして、そんな事の出来ない人間を蔑み笑った。つまらない人間、淋しいみすぼらしい人間として冷笑した。
 そんな堕落――不倫――放蕩――ワガママをしたいために、世間の人々は一生懸命に働いているかのように見えた。
 この有様を見た少年少女は、エラいという意味をそんな風に考えるようになった。成功というのは、そんな意味を含んでいるものと思うようになった。日本中の少年少女の人生観の中で、最も意義あり、力あり、光明ある部分は、こうして初めから汚された。その向上心の大部分は若いうちから病毒に感染させられた。
 彼等少年少女の心は暗くならざるを得なかった。その人生に対する煩悶と疑いは、いよいよ深くならねばならなかった。
 今でもそうである――否、もっと甚だしいのである。

     教育に対する少年少女の不平と反感

 一方に、こうした彼等の悩みを、今日までの教育家はどんな風に指導して来たか。
 現代の教育家は商売人である。
 だからその人々の教育法は事なかれ主義である。
 その説くところ、指導するところは、昔の在野の教育家の、事あれ主義を目標にした修養論と違って、何等の生命をも含まぬものばかりであった。そうして、哲学や、宗教や、主義主張、又は血も涙も、人間性も……彼等少年少女の心に燃え上るもの一切を危険と認めて圧殺しようとする教育法は、あとからあとから生れて来る少年少女の不平と反感を買うに過ぎなかった。
 彼等少年少女の向上心は、これ等の教育家の御蔭で次第次第に冷却された。現代の日本の教育家が尊重するものは、どれもこれもいやな不愉快なものと思われて来た。残るところは堕落した本能ばかりである。彼等少年少女は、そのような心をそそるものばかりを見たがり、聞きたがり、欲しがるよりほかに生きて行くところがなくなった。
 幸いにして堕落しなかった者は、持って生れた用心深さや、気の弱さ、又は利害の勘定に明らかなために、ただ無意味にじっと我慢しているに過ぎない。
 今から五六年前までの教育及び社会対不良少年少女の関係はこんな調子になっていた。

     全人類の不良傾向

 ところが、この事なかれ式の圧迫的教育法が、最近数年の間に大きなデングリ返しを打った。
 理屈詰めの禁欲論、味もセセラもない利害得失論で少年少女の不良性を押さえつける事が不可能な事を知った学校と社会とは、慌てて方針を立て直した。正反対の自由尊重主義に向った。
 この傾向には過般のバブル景気が影響している。
 好景気は民族性や個性の尊重、階級打破、圧迫の排斥なぞいう、いろんな主義を生んだ。それは皆、今まで束縛され、圧迫されていたものの解放と自由を意味するものであった。
 世紀末的の様子や主張、宗教崇拝、変態心理尊重等いう、人類思想の退廃的傾向がこの中から生み出されて、更に更に極端な解放と自由とを求むる叫びが全世界にみなぎった。
「自分の権利はどこまでも主張する。同時に何等の義務も責任も感じないのが自由な魂である」
 というような考えが全人類の思想の底を流れた。
 このような思想は不幸にして、人間の人間味を向上させるためには無効力であった。却って不良性を増長させるのに持って来いの傾向であった。享楽性はここから湧いた。

     学校と父兄が生徒に頭が上らぬ

 日本人の頭は何等の中心力を持たぬ。「正しい」とか「間違っている」とかいう判断の標準を持たぬ。「善」とか「悪」とかいう言葉よりも、「新しい」とか「古い」とかいう言葉の方がはるかに強い響きを与える。
 そこへこの世界的不良傾向が流れ込んだからたまらない。
 政治、宗教、芸術、教育方面には特に著しくこの傾向が現われた。飛び級問題や推薦入学に関する各種の運動、又は国私立の区域撤廃といったような叫びが起った。
 自発的教授法、自由画、自由作文、児童の芸術心を尊重するという童謡、童話劇、児童劇なぞが盛に流行した。何事も子供のためにという子供デーなぞが行われた。「子供を可愛がって下さい」というような標語が珍らし気に街頭で叫ばれた。
 それまではまだ無難である。
 小学一年生位が遅刻しても、
「まだ子供ですから」
 という理由で叱らない方針の学校が出来た。大抵の不良行為は、「自尊心を傷つける」という理由で咎めない中学校が出来始めた。
 親が子供を学校にやる時代から、子供が学校に行ってやる世の中になりかけて来た。
 先生が生徒に頭を下げて、どうぞ勉強して下さいという時代に変化しかけて来た。
 学校へ行くという事のために、子供は親にいくらでも金を要求していい権利が出来そうになって来た。同時に服装の自由はもとより、登校の自由、聴講の自由までも許さなければ、学校の当局がわからず屋だと言われる時勢となって来た。

     東京に鬱積した不良性

 金取り本位、人気取り専門の私立学校や職業学校、又はその教師たちは、先を争ってこの新しい傾向に共鳴した。前に述べた各種の運動で値打ちを削られた国公立の諸学校も、多少に拘らず、こんな私立学校とこんな競争をしなければならぬというような気合になって来た。
 学生の自由は到る処に尊重された。無意味に束縛されていた人々が、今度は無意味に解放されるようになった。
 その結果は、ますます男女学生の自堕落を助長するのみであった。
 若い人々に無意味の自由を与えるという事は、無意味に金を与えるのと同じ結果になる。いい方に使おうとしないのが大部分である。
 最近の日本の無力な宗教家、道徳家、政治家、教育家及一般社会の人々は、総掛りで少国民の向上心を遮った。堕落の淵に落ち込むべく余儀なくしてしまった、と言っても過言でない。
 そうして、この傾向の最も甚だしかったのはバブル崩壊前の東京であった。
 都会の少年少女は取りわけて敏感で早熟である。なかんずく東京の少年少女は最も甚だしい。東京人がその敏感と若さを以て誇りとしているように、少年少女もその早熟と敏感とをプライドとしているかのように見える位である。
 性教育の必要はその中から叫ばれ始めた。これは解放教育の結果がよくないのを見て、まだ解放し足りないところまで公開せよ、そうしてあきらめをつけさせろという議論である。
 ところへ過般の大崩壊が来た。解放も解放……実に驚天動地の解放教育を彼等子女に施した。

     家庭の値打ちがゼロ

 東京は昔から不良少年少女の製造地として恐れられていた。あとに残って少年少女の堕落を喰い止めるものは、ただ家庭の感化ばかりである。
 ところが、現在の東京人の家庭の多数はこの力を失っている。お父様やお母様の威光、又は兄さまや姉さまの値打ちがゼロになっている家庭が多い。
 第一に、現在の親たちと、その子女たちとは思想の根底が違う事。
 第二に、上中下各階級の家庭が冷却、又は錯乱している事。
 主としてこの二つの原因があるために、現在の東京の子女には、その家庭に対する懐かしみや敬意を持てなくなっているのが多い。

     昭和思想と平成思想

 東京は昭和平成時代の文化の中心地である。だから、そこに居る子女の父兄たちは、大抵昭和時代のチャキチャキにきまっている。
 昭和時代は、日本が外国の物質的文明を受け入れて、一躍世界の一等国となった時代である。だから、その時代に育った人の頭は物質本位、権力本位でかたまっている。
 ところがその子女となると、大抵昭和の末から平成の初めの生れで、その頭には欧米の物質文明が生み出した、するどい精神文明が影響している。
 過激、虚無、その他あらゆる強烈な思想が、マンガやアニメとなって波打ち流れた。太平洋戦争の結末は日本に対する連合国の勝利でない、大量破壊兵器を量産した結果であるというような事を小耳に挟んでいる。そうして、その結論として、「個性を尊重するためにはすべてを打ちこわしても構わない」というような声を、どこから聞くともなく心の奥底に受け入れている。
 だから、昭和時代の人々の頭に残っている家族主義や国家主義なぞは、とても古臭くて問題にならぬ、なんら科学的根拠を持たぬ――何等の生命を含まぬ思想位に思っている。科学が何やら、生命がどんなものやら知らないままにそう信じている。
 まだある。

     家を飛び出したい

 現代の少年少女がその親達から聴くお説教は、大抵、生活難にいじけた倫理道徳である。物質本位の利害得失論を組み合わせた、砂を噛むような処世法である。殊にバブル崩壊後の強烈な生存競争に疲れ切った親達は、もうそんな理屈を編み出す力さえ無くなったらしい、大昔から何の効能もないときまった、「恩の押し売り」を試みる位が関の山らしい。あとは学校の先生に任せて、「どうぞよろしく」という式が増えて来たらしい。
 単純な少年少女の頭は、そんな親たちの言う通りになったら、坊主にでもなった気で味気ない一生を送らねばならぬようにしか思われぬ。親のために生れたので、自分のために生れたのではないようにしか思われぬ。とてもやり切れたものでない。「ゆとり教育」なぞいう言葉が痛快がられるのは、このような社会心理からと思われる。
 少年少女は、だから一日も早く、こんな家庭から逃げ出そうとする。何でも早く家を出よう、独立して生活しよう、そうして享楽しよう……なぞと思うのは上等の方であろう。
 こうした気持ちは東京の子女ばかりではない。地方の子女も持っている。地方の若い人々が「東京に行きたい」と思う心の裡面には、こうした気持ちが多分に含まれているであろう。
 昭和生れの親たちが、その子女から嫌われて、馬鹿にされている内情には、こんな消息が潜んでいる。

    上流家庭に不良が出るわけ

 東京の社交婦人の忙しさは、とても地方の都会のそれと比べものにならぬ。哺乳をやめ、産児制限をやり、台所、縫物、そのほか家事一切をやめて、朝から晩まで自動車でかけ持ちをやっても追い付かぬ。その忙しさの内情には風儀の錯乱が潜んでいる場合が多い。遠慮なく言えば、上流の夫人ほどワガママをする時間と経済の余裕を持っている。
 そんな人の子女に限って家庭教師につけられているのが多い。その又家庭教師にも平成の東京人が多いのである。
 バブル前の不良少年は、大抵、下層社会の、割合に無教育な親を持つ子弟であった。それがバブル後は反対になって来た。上流の方が次第に増えて来たと東京都内の各署では言う。
 こんな冷たい親たちを持つ上流の子弟が不良化するのは無理もない。
 そんな親様がいくら意見したとて利く筈はない。
 それでも親としてだまって頭を下げているのは、ただお金の関係があるからばかりでなければならぬ。

     青春の享楽を先から先へ差し押える親

 昭和時代の親たちが、平成時代の少年少女の気持ちを理解し得ないのは当り前である。「権利と義務は付き物」という思想では、「人間には権利だけあって義務はない」と思う新しい頭を理解し得られる筈がない。
 今の少年少女にとっては、学校は勉強しに行く所でない。卒業しに行く所である。又は親のために行ってやるところである。も一つ進んで云えば、学資をせしめて青春を享楽しに行く所である。
 親はそんな事は知らぬ。
 早く卒業させよう――働かせよう――又嫁や婿を取らせようと、青春の享楽の種を先から先へと差し押えようとする。
 少年少女はいよいよたまらなくなる。ますます家庭から離れよう、せめて精神的にでも解放されようとあせる。
 華やかな、明るい、面白い、刺激の強い、甘い、浮き浮きした方へと魂を傾けて行く。そうしていつの間にか不良化して行く。
 親はこれを知らない。
 現代の子女がどんな刺激に生きているかを、昭和時代の頭では案じ得ぬ。

     世界一の不良境

 東京の子女が不良化して行く経路は極めてデリケートである。殊に現在の不良化の速さ、不可思議さは世界一かも知れない。
 都会の子女は生意気だという。それだけ都会が刺激に満ちているからである。
 バブル後の東京は殊に甚だしい。毒々しい、薄っぺらな色彩の飲食街……目まぐるしく飛び違う車や人間……血走った生存競争……そんな物凄い刺激やどよめきをうけた柔らかい少年少女の脳髄は、どれもこれも神経衰弱的に敏感になっている。ブルブルと震え、クラクラと廻転しつつ、百色眼鏡式に変化し続けている――赤い主義から青い趣味へ――黄色い夢幻界から黒い理想境へ――と寸刻も止まらぬ。その底にいつも常住不断の真理の如く固定して、彼等を刺激し続けているものは、本能性や堕落性ばかりである。
 このような刺戟に対する敏感さと、これを相手に伝える手段の巧妙さと新しさとは、彼等都会の子女が常に誇りとしているところである。
 生活にいじけ固まった昭和生れの親達は、こんな気持ちを忘れている。

     ボンヤリする心

 彼等都会の少年少女は、その頭の鋭さ、デリケートさに相応する相手を求むべく、飢えかわき、ふるえおののいている。――秘密、犯罪等を扱ったライトノベル等を読みたがっている。――その中に隠されている、人生に対する皮肉、反逆、嘲罵の巧妙さを直感して面白がっている。そうしていつの間にか、そんな事をやって見たい気持ちになっている。
 内外の小説に極めて繊巧に、又は露骨に描かれた挑発的な場面を、紙背に徹する程眼を光らして読んでいる。
 友達と話が出来ないというので活動に這入る。先ず俳優の名前を覚えて、その表情から日常生活まで研究する。そうしてこれを嘆美したり、崇拝したり、通を誇ったりする。
 そのうちに世間が活動のように見えて来る。ある場面が自分の境遇のように思える。あの人があの俳優のように見える。圧迫から逃れて恋に生きる場面が、自分を中心にいく度か妄想される。そうしてボンヤリと明かし暮らす。
 親はそんなことに気付かぬ。

     若い女性の享楽気分

 ここで是非特筆大書しておかねばならぬ事は、最近の東京における若い女性の享楽気分である。
 よく「女は女らしく」、「男は男らしく」と言うが、今の東京では、その「男らしい」と「女らしい」との意味が昔と違っている。「男が人間なら女も人間だわ」という意味である。だから、今の東京の女らしい女は、なかなか活発で、華やかで、積極的で、魅惑的である。
 そんなのを前に男らしく跪いて、堂々と満身の愛を告白する。昔のように自己を偽って見識ばらぬ。そんなのが「男らしい男」らしい。DV――セクハラ防止の主張――その他社会的の地位を要求する黄色い声は、天下に満ち満ちて来た。
 育児休暇によって象徴される、婦人の享楽的権利の主張は、医学と薬剤の発達でドシドシ貫徹されている。
 パートの増加によって、婦人の独立生活、享楽生活の容易な事は明らかに証明されている。
 女性崇拝の外国映画は盛にこの傾向の太鼓を持つ。
 欧米の新思想は又、精神的方面からこの傾向を刺激して、目下八度五分位の熱を出しているところである。
 新しい女の先駆者としての活躍時代は過ぎた。今は一般に普及しつつある時代である。男女同権――すなわち、女尊男卑がドシドシ流行する。

    反り女に屈み男

 呆れても驚いても追付かぬ。東京の女は男と同様に自由である。眼に付いた異性に対して堂々とモーションをかける。異性を批判し、吟味し、イヤになったらポイ捨てしていい権利を、男と同じ程度に振りまわしている。ただ、全部が全部でないだけである。
 こうした傾向にカブレた東京の少女は、知らぬ男から顔を見られても、耳を赤くしてうつむいたりなんぞしない。アベコベにジッと見返すだけの気概を持っているのが多い。これはどなたでも東京に行って観察すればわかる。
 往来を歩く姿勢も、昔と違って前屈みでない。昔は「屈み女に反り男」であったが、今では「反り女に反り男」の時代になった。今に「反り女に屈み男」の時代が来るかも知れぬ。
 表情も昔と違ってキリリとなった。八方睨みを極めてあるきながら、たまたま男と視線が合っても、じっと一睨みしてから、「チッ」とか「フン」とかいった風に眼をそらして通り抜けるのさえある。
 田舎からポット出の学生なぞは、あべこべに赤面させられそうである。

     堕落して冷静に

 各種の避妊薬は彼女たちに安全な堕落の道を教える。化粧品屋は彼女達に永久の美を保証する。女優の表情はいつしらず彼女達に乗り移る。そうして、彼女達にその芸術的表情を実演すべき場面を心の底から求めさせる。
 気の利いた学校の先生は、この世相に迎合して、「そもそも妊娠という事は……」と性教育を試みる。生徒は真っ青に緊張してそれを聴く。
 このような気分に蒸し焼きをされる若い女性がどうして堪え得よう。実際に異性の香を知らぬまでも、禁欲の苦痛を感じずにはいられぬ。
 その苦痛を一度でも逃れた経験を持つ女性は、必ずや男性に対する感じ方が違って来る。昔のように赤くなったり、オズオズする気持ちは出そうと思っても出ない。同時にそんな感じを超越して男性を見たり、批評したり、交渉したりする心のゆとりが出来て来るわけである。
 彼女たちはこうしてますますその批評眼を高くし、享楽趣味を深くし、独立自由の気分を男子と同等にまで高潮させて行く。親の厄介になって好かぬ結婚に縛られるより、キャリアウーマンになってもというような意味の向学心を強めて行く。
 これは男子学生とても同様である。
 将来の日本には独身の男女がさぞかし増えることであろう。



著者:夢野久作
初出:「九州日報」1925(大正14)年1~5月
修正:2007(平成19)年6月

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2007.06.20 | | コメント(6) | トラックバック(1) | 分析

新訳・東京人の堕落時代

 キャリアウーマン!
 聞くだに美しく、勇ましい名前である。清い、新しい理想の光を降り注いで、一心に働く女性の姿が連想される。
 あなたはそんな風に考えて東京に来て見た。そうしたらまるで違っていた。
 職業を持っている女性……すなわち稼ぐ女をキャリアウーマンというのなら何でもいい。上は女性官僚から、小学校教員、女性弁護士、女医、女歯科医、女薬剤師、女性記者、女子アナウンサー、フライトアテンダント、女性会計士、女性外交員、通訳、女性建築家。すこし有りふれては看護婦、OL、デザイナー、メイクアップアーティスト、マッサージ師、美容師、セラピスト、女車掌や運転士、受付嬢、モデル、タレント、声優女優一切。ツアーコンダクター、ホテルの従業員もかためて中流に入れようか。数えて来ると随分ある。これ等はみんなキャリアウーマンに相違ない。
 しかし、復活した東京の新文化の毅然として、大道を闊歩している所謂キャリアウーマンというのはそんなのではない。もっと新しい、現代的な意味でいうキャリアウーマンである。彼女達キャリアウーマンのグループは派手を競った。そうして、その背景や職業によって服装が違って来ると同時に、ヘアスタイルもこれに釣り合って変化して来た。

     自己見せ付け競争

 現代のキャリアウーマンの名称には、単純な意味と複雑な意味と両方ある。
 単純な方はつまり金権主義の事である。バブルの絶頂期に散々遊びまわったのにも関わらず、バブル崩壊後特に馬力をかけて金欠撲滅に努力しているという。又、実際、金欠は撲滅されかけているように見える。
 複雑な意味のキャリアウーマンというのは、要するに裏と表と二重の表情を持っている仮面をかぶったような女性で、こちらは反対にドシドシ増加しつつある。この事実を疑うものは、東京人の中に一人も無いと言っていいであろう。
彼女達キャリアウーマンは、その名前の美しく雄々しいように、その姿も派手で活発である。最新流行は無論のこと、永年東京に住んでいる東京人でも眼を丸くしてふり返るような、思い切ったスタイルでサッサと往来を歩いて行く。自分自身が万人の注目の焦点となるべく、あらゆる極端な工夫を凝らしているかのように見える。

キャリアウーマンの服装は、その頭やお化粧程奇抜ではない。田舎風に、無闇にケバケバしいだけである。しかし、中には素晴らしく上品なのや、恐ろしく凝ったのも居ないではない。
 概して、平成時代の女性たちの多くは、女性ファッション誌風味を理想としているようである。しかし、いくらそんな風になり切っているつもりでも、生活がそうでない限り、どこかに故郷があらわれているのは止むを得ない。第一、貴婦人らし過ぎたり、コンサバらし過ぎたり、ギャルじみ過ぎたりしているところに、何となく不自然な感じを受ける。まして親たちの指図や許可を得て買った身のまわりと、自分達の勝手なブランド趣味や思う通りの金で買い集めた身のまわりが、感じの点で非常に違うのは当たり前である。一方がつつましやかに落付いているのに反して、一方が派手やかに気取っているところに、ありありとネタが暴露している。その上に、彼女等の職業や生活の上から来る気持ちの反映、体型、歩き方、顔の表情、眼の光りの澄み加減や落ち付き加減にまで注意したら、キャリアウーマンであるかないかは、如何なる場合でも一目瞭然であろう。

     都市の夜の光線

彼女達キャリアウーマンが真面目な仕事をする時間は大抵昼間である。したがって、彼女達がその持ち前の美を自由に発揮する時は夜である。
 然るに都市の夜の光線は、水蒸気の多い日本の昼間の光線がすべてをドス暗くみじめにすると正反対に、華やかである。だから彼女たちの姿が、夜の光りに調和すべく、大げさに毒々しくなって行くのは止むを得ないであろう。
 銀座のある美容師はこんなことを言った。
「田舎へのお土産に東京のトレンドの髪をという意味の御注文がよくあります。しかし東京の結い方はあまりお上品向きでありませんから、お客様のお姿や服装から御家庭をお察しして、苦心して調和よく結って差し上げますと、どうも御気に召しません。反対にキャリアウーマン風にして差し上げますと、一も二もなくお喜びになります。すべてヘアスタイルは御家庭や、御職業や、又はそのお帰りになる地方の風土によって違います。外国でも気の利いたお方は、御旅行先や御転居先の風俗をよく研究されて、これに調和されて行きます。お料理なぞと少しも違いません。故郷ならば故郷風があるのが本当なのです。日本中が東京風になるのは、日本の方がまだ本当の趣味を御理解なさらぬためだと考えられます」。

     あれはキャリアウーマン!

 キャリアウーマンはその服装が如何に立派であっても、どこかに彼女たちの裏面の生活が反映しているものである。彼女たちは金を儲けるために働かなければならない。一日のうち何時間かは自己を殺していなければならない。その代わり、彼女達は又、家庭の女が持ち得ない自由な時間と金を毎日いくらかずつ持っている。その時間と金とを彼女たちは勝手気ままに使って、虐げられた自己を慰める。これを妨げようとするものがあると、彼女たちは猛然として反抗するのが普通である。そうして益々勝手気ままになる。ダラシなくなる。ムシャクシャを増長させる。彼女達を高尚に、シッカリと、綺麗に、健康に育て上げようという指導者が次第に遠のいて行く。その結果が彼女達の服装に先ず現われる。

 ファンデーションを塗り過ぎる。しかし肌荒れは隠し切れない。
 髪を大切にする。しかし毛の根は油でよごれている。
 美しい洋服を着る。しかし裾にしまりがない。
 取り澄まして歩む。しかし眼づかいは下品である。
 そのほか唇のしまり、好みの調和なぞ、彼女たちのダラシなさを挙げたら数限りもない。しかも現在の東京人は、こんな風に見える女をすぐに解放された女と認めて讃美するのである。そうして男同士の間では、
「彼女は美しい女性だよ」
 と称え合うのである。

     スーツの流行と活動

 キャリアウーマンには時々スーツを見受ける。普通の女性にも時々見かけるが、よく似合っているのは十人に一人もない。
 スーツの生命とするところは、顔でもなく、尻でもなく、首と足の格好だそうで、その中でも足は最も大切な条件なのだそうであるが、日本人の足……殊に女の足は十人が十人駄目である。日本女性がズングリムックリした、無闇に派手な洋服を尾張大根のような足で運んで行く格好はあまりよくない。
 おまけに彼女たちはダンスのダの字も知らないのだから、身体のこなしが洋服とまるで調和していない。それでも流行するのは、大方、テレビやファッション誌等の宣伝がきいているのであろう。

    キャリアウーマンの服装が派手になって行く訳

 キャリアウーマンの服装がどうしてこんなに派手になって行くか。どうしてそんな突飛な流行にまで突きつめて行くか。
 なぜなら彼女達が解放されているからである。彼女達は金が自由になると同時に、親兄弟の意見を聴かないでも済む権利が出来た。即ち家庭から精神的に解放された。彼女たちは勝手なものを買って、好きに身を飾り得る境遇の中にある。一方、東京の街頭には、原価の二倍以上の掛け値をした洋服や、ブランド物がイッパイに並んで彼女達を誘惑しているのである。抜け目のない商人たちはこう考えている。
「今のキャリアウーマンは、今までの日本人の娘としては、まことに驚く程の小遣いを持っている。しかも彼女たちの趣味は、育ちが育ちだけに極めて低級である。大きいか、美しいか、珍しくさえあればいい。安くて、派手で、ちょっと上等のに見えさえすればいい」
 と。彼女達は、毎日毎日、この手で誘惑されつづけているのである。

     彼女達の三資本

 キャリアウーマンはこうして次第に東京を横行し始めた。
 彼女達キャリアウーマンは裏と表と両方の意味において、生活という事を理解している。
 彼女達の資本は、その「健康」と、「美」と、「あたま」との三つである。その中で最も値打ちある資本が、その「美」であることは言うまでもない。だから彼女たちの大部分はうら若い連中である。
 彼女達のこの三つの資本のうち二つか三つかが使い切られた時、彼女達のキャリアウーマンとしての価値はどうなるか。彼女達は如何にして生きて行こうとするであろうか。それは今から十年後の東京に来て見なければわからない。又彼女達自身も考える余裕を持たないであろう。
 彼女達はこの三つの資本を最も大切に且つ最も厳重に保護してくれる人々、即ち旧式の家庭や社会から逃れ出た。彼女達はこの意味においてほとんど解放されていると言ってもいい。彼女達が自身に金を儲けるという事は、家庭と社会に対する精神的の自由を意味するからである。彼女達は新東京の新文化の表面と裏面とを同時に支配している。そこに最も自由な華やかさと、最も深刻な暗さとを刻み込んでいる。

     震災後の淫風と生活難の誘惑

 バブル崩壊後の東京に於ける生存競争が、崩壊前のそれよりも数層倍激しく乱雑になった。弱い彼女たちを死に物狂いになるまでいじめ上げた。これも彼女達を堕落させる有力な原因となった。
 時は金なり、金は生活なり。生活の真髄は享楽なりという実際の証拠が、彼女達の眼の前に朝から晩まで走馬燈の如く回転した。
 時、金、生活、享楽――即ち物資文明の産物たる東京の高層ビル、イルミネーション、店頭装飾、そのようなものの間を駈けめぐる電車、自転車、トラック、オートバイの響は砂煙を上げ、天地に轟きつつ、まだ気の弱い、生れ立ての彼女達の神経を痛めつけた。
 自分の持っている限り無形の資本を、一日も早く有形の資本に変えて、生活の安定を得ねばならない、という事以外に彼女たちは何事もわからなくなった。その時に彼女達は、その持っている三つの資本、健康、美、あたまのうち、美がすべてに勝る資本である事を知った。全東京の男性は彼女達の美に飢えている事を知った。殊に彼女達の出世の直接原因となるべき上役、又は彼女達の保護者となるべき富豪を自由にするには、彼女達の美を提供するのが一番である事を知った。彼女達の「美」は彼女達の「頭」の良さを保証し、「健康」と「勤勉」とをさえ保証する事に見慣れ、聞き慣れて来た。



著者:夢野久作
初出:「九州日報」1925(大正14)年1~5月
修正:2007(平成19)年6月

テーマ:エッセイ - ジャンル:小説・文学

2007.06.15 | | コメント(3) | トラックバック(0) | 分析

マドラックス

狙撃者が拳銃を構えながら察している
世界のない世界に安住し 憎悪と駆け落ちする職業
「ヒトゴロシ・・・」
だが今日はなにかが妙だ
冷酷へ傾くはずの心臓が日焼けしたらしい
手袋の奥の血潮はかんしゃくを起こすし
感情はめずらしく濡れていた

草原の中 密かにためらいは満ちる
彼女は純白の深さを問わず 逃げてばかりいた
せわしい時間を渡る人びとはみな愛が冷たい
ハイヒールは息切れ 重い笑顔を引きずっている
市街の悪魔に賄賂した彼女の避けられぬ末路
大人の宿命
化粧に言い訳をごねても聞く者はない
かつて澄みわたったやさしさもいつか枯れてしまうだろう
彼女は己の思想に義務を課す
もはや素顔な言葉など忘れた
拳銃に酔う文明に生死をかける
絵空事のスープを二度と味わいはしない・・・
しかし乾いた悲劇に立つ彼女は発狂し 泣き崩れた

孤独は孤高 孤独は孤高よと!




FictionJunction YUUKA - Nowhere(通称:ヤンマーニ



「真下クオリティー」とは

①電波少女
②論理言語
③オシャレ
④銃撃戦において、敵の放つ銃撃が不自然なまでに主人公から外れること。
⑤銃撃戦において、主人公の放つ銃撃が不自然なまでに敵に命中すること。
⑥カメラワーク(人物を2人以上映す場合、水平角度より2度~30度ほど左右に視野をズラす。その後、両目に極端すぎるほどズームインし、と同時に平行移動。)


つまり、真下耕一クオリティー。


参考資料:テレビアニメ 『NOIR』 『MADLAX』 『エル・カザド

テーマ:エル・カザド - ジャンル:アニメ・コミック

2007.06.10 | | コメント(3) | トラックバック(0) |

Trip Hop ~世は常識で幻想を押し殺し、君は立派な未亡人になる~

ねえ君、生きてるのって楽しいかい・・・?

「人はさぁ 無意識の内に闇を照らすのを避けてるんだ
照らされざる闇はより昏く深くなってゆくって知ってたかい?
闇なんてさぁ 抱えてないような顔をして日々を生きてる
そんな君の中はとても居心地が良いんだ・・・」

ねえ君、生きてるのって楽しいかい・・・?

「どんな闇を用いても闇の深さは測れないんだ
でもそのことに気付いた時には もうそこまで届く光は抱けないのさ
例えば君がいなくなったって誰も困りはしないんだよ
唯 忘却と喪失の狭間で揺れるだけ それだけなんだ・・・」

「奪い続ける物語を・・・」
「忘れ続ける物語を・・・」
「失い続ける物語を・・・」
「幻想の名を騙りそこに在る現実を・・・」

ねえ君、生きてるのって楽しいかい・・・?




Portishead - Humming



「君はさぁ 自分ひとりで生きてるつもりなんだろうけど
君が生きる為にどれだけの命が奪われるのか知ってるかい?
そして それはこれからも続いてゆく物語
気持ち悪いよね それって凄く気持ち悪いよね・・・?」

「えっ、どうしたら良いかって?」
「そんなの簡単さ」
「君はまだ解らないないのかい?」
「そうさ いなくなっちゃえば良いんだよ・・・」




Portishead - Over



「逃げるのかい? 何処まで逃げたって無駄さ
僕は君の中にいる そして彼の中にも 彼女の中にもね
喪失の地平線は第三の幻想を纏い 何処にでも現れるんだ
君が『生きたい』と願い続ける限り 『Lost』(ここ)からは逃げられないのさ・・・」

ねえ君、生きてるのって楽しいかい・・・?
失うまで、逃がさない・・・ 失うまで、逃がさない・・・

ねえ君、生きてるのって楽しいかい・・・?

「人はさぁ 無意識の内に闇を照らすのを避けてるんだ
照らされざる闇はより昏く深くなってゆくって知ってたかい?
闇なんてさぁ 抱えてないような顔をして日々を生きてる
そんな君の中はとても居心地が良いんだ・・・」

ねえ君、生きてるのって楽しいかい・・・?

「どんな闇を用いても闇の深さは測れないんだ
でもそのことに気付いた時には もうそこまで届く光は抱けないのさ
例えば 君がいなくなったって誰も困りはしないんだよ
唯 忘却と喪失の狭間で揺れるだけ それだけなんだ・・・」

「奪い続ける物語を・・・」
「忘れ続ける物語を・・・」
「失い続ける物語を・・・」
「幻想の名を騙りそこに在る現実を・・・」

ねえ君、生きてるのって楽しいかい・・・?




Portishead - All mine



「君はさぁ 自分ひとりで生きてるつもりなんだろうけど
君が生きる為にどれだけの命が奪われるのか知ってるかい?
そして それはこれからも続いてゆく物語
気持ち悪いよね それって凄く気持ち悪いよね・・・?」

「えっ、どうしたら良いかって?」
「そんなの簡単さ」
「君はまだ解らないないのかい?」
「そうさ いなくなっちゃえば良いんだよ・・・」

「逃げるのかい? 何処まで逃げたって無駄さ
僕は君の中にいる そして彼の中にも 彼女の中にもね
喪失の地平線は第三の幻想を纏い 何処にでも現れるんだ
君が『生きたい』と願い続ける限り 『Lost』(ここ)からは逃げられないのさ・・・」

ねえ君、生きてるのって楽しいかい・・・?
失うまで、逃がさない・・・ 失うまで、逃がさない・・・


Sound Horizon「永遠の少年」より

テーマ:お気に入りミュージシャン - ジャンル:音楽

2007.05.31 | | コメント(3) | トラックバック(0) | 洋楽

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