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安藤裕子「唄い前夜」

淡々と、ただ淡々と、淡々と。

淡々なるままに作り上げた安藤裕子の、なんとなく淡々とした「唄い前夜」。

名曲。

2007年、「唄い前夜」を上回れる曲は、そうは見つからない

まだ3月。9ヶ月残して。

断言しても良いのかな。今年の最高楽曲と。

何の変哲もない日常の、平凡の。

劇的な感動も特にはなく、その日暮らしで、無為に時間をつぶす。

そういう空気感を、あえて“風流”だと呼びたい。



とある思想。

のんびり屋は悪い見本。テキパキ、働いて、成長して。飾って、輝いて、魅了する。

それこそ善。

デキるヒトになるべきだと。

とはいえその思想に誰もが共感しているとは限らない。

中だるみといわれても仕方ない。出しゃばれない。不器用である。けれど、それが良い。

安藤裕子の楽曲には不安定な儚さを感じることが出来る。

ヒトは安定を手に入れたいと願っている。そして不安定は悪だと思い込む。

しかし現状はどうか。

ヒトはいつまでたっても絶対の安定を手に入れることは出来ない。

安藤裕子は不安定さを正直に唄う。

すると不安定さは快感に変わる。説得力が増す。

“つかみどころがなくつかんでいる”バランス感覚は、もはや安藤裕子の職人芸。

なんと神秘的で素敵な独自性だろうか…。

風流な雰囲気といえば、

70年代の伝説のバンド、はっぴいえんどに「夏なんです」という曲があるんです。





「夏なんです」と「唄い前夜」。

穏やかな、身の丈ほどの世界観。

しみじみと音の揺らぎを味わう。のらりくらり。また、のらりくらり…。

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テーマ:女性アーティスト - ジャンル:音楽

2007.03.22 | | コメント(3) | トラックバック(0) | 邦楽

売れ線論

 一群の「音楽家」というものがある。私は、その者たちの一人とも会話の機会を得たことがない。私は、その者たちの自信の強さにあきれている。彼らの、その確信は、どこから出ているのだろう。所謂、彼らの神は何だろう。私は、やっとこの頃それを知った。

 情報である。
 情報のエゴイズムである。
 それが結局の祈りである。私は、あの者たちに、あざむかれたと思っている。ゲスな言い方をするけれども、マスメディアが可愛いだけじゃねえか
 私は、或る「音楽家」の曲を聞いてみた。何のことはない、周囲のごひいきのお好みに応じた表情を、キッとなって構えて見せているだけであった。軽薄も極まっているのであるが、馬鹿者は、それを「流行」と言い、「共感」と言い、ひどい者は、「刺激的」なぞと言ってあがめているようである。
 世の中をあざむくとは、この者たちのことを言うのである。軽薄ならば、軽薄でかまわないじゃないか。何故、自分の本質のそんな軽薄を、売上枚数と置き換えて見せつけなければいけないのか。軽薄を非難しているのではない。私だって、この世の最も軽薄な男ではないかしらと考えている。何故、それを、売上枚数とまぎらわせなければいけないのか、私にはどうしても、不可解なのだ。
 所詮(しょせん)は、Mステ生活の安楽だけが、最後の念願だからではあるまいか。ファンの意見に圧倒せられていながら、何かしら、ファンにみとめてもらいたい気持、ああ、いやらしい、そんな気持が、作品の何処(どこ)かに、たとえば、お便所の臭いのように私を、たよりなくさせるのだ。
 わびしさ。それは、貴重な心の糧だ。しかし、そのわびしさが、ただ自分の誇張された情報とだけつながっている時には、はたから見て、すこぶるみにくいものである。
 そのみにくさを、自分で所謂「恐縮」して書いているのならば、面白い曲にでもなるであろう。しかし、それを自身が流行発信源みたいに、いやに気取って歌っていて、その苦しさに襟(えり)を正すリスナーもいるとか聞いて、その馬鹿らしさには、あきれはてるばかりである。
 人生とは、(私は確信を以て、それだけは言えるのであるが、苦しい場所である。生れて来たのが不幸の始まりである。)ただ、人と争うことであって、その暇々に、私たちは、何かおいしいものを食べなければいけないのである。

 話題になる。
 それが何だ。おいしいものを、所謂「話題に」ならなくても、自ら味わなければ、何処に私たちの生きている証拠があるのだろう。おいしいものは、味わなければいけない。味うべきである。しかし、いままでの所謂「音楽家」の差し出す料理に、何一つ私は、おいしいと感じなかった。
 ここで、いちいち、その「音楽家」の名前を挙げるべきかとも思うけれども、私は、その者たちを、しんから軽蔑(けいべつ)しきっているので、名前を挙げようにも、名前を忘れていると言いたいくらいである。
 みな、無学である。暴力である。弱さの美しさを、知らぬ。それだけでも既に、私には、おいしくない。
 何がおいしくて、何がおいしくない、ということを知らぬ人種は悲惨である。私は、日本のこの人たちは、ダメだと思う。
 芸術を享楽する能力がないように思われる。むしろ、リスナーは、それとちがう。文化の指導者みたいな顔をしている人たちのほうが、何もわからぬ。リスナーの支持におされて、しぶしぶ、所謂不健康とかいうアニメソングの作品を、まあ、どうやら力作だろう、くらいに言うだけである。
 おいしさ。情報があふれてくると、味がわからなくて、ただ量、或いは、歯ごたえ、それだけが問題になるのだ。せっかく苦労して、悪い材料は捨て、本当においしいところだけ選んで、差し上げているのに、ペロリと一飲みにして、これは腹の足しにならぬ、もっと身になるものがないか、いわば情報における淫乱である。私は、つき合いきれない。

テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽

2007.03.13 | | コメント(4) | トラックバック(0) | いろいろ

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